蒔田正美歌集『当世』

歌は一首、一首の起立が最も大切だ。私が後藤直二先生から学び得たものは、何であったのか、それは、その人にある許される、わがままのようなものを保ちつつ、個性を持っていて、普遍性のあることが大切なことだと、ことばでは言わなかったが、私が勝手に忖度したのである。そしてとにかく、歌の前に、ひとりの人間のすべてがあり、歌の源なのである。今、それが、私の三尺の秋水であり佩刀なのである。 (あとがきより)

・あさもやの茶の丘みちに富士を見る土ふむことはうたのみなもと
・人の見ぬ谷のくぼみにもりあがり息づけるものにこうべをたれぬ
・空しさのこころのゆくえ知らずしては花によりゆくあゆみなりけり
・汗かきてうなぎをいまし食いおえぬこの満足はまぐわいににる
・近く来てほととぎす鳴く雨の朝新笹(にいざさ)ひかりそこよりけぶる
・夕ぐれに出合いなおして鶺鴒(せきれい)はつりがねにんじんのゆるるむこうに
・引き水の樋(とい)をつたいて田螺(たにし)くるその行動のわずかなれども
・夜半さめて腹のなかなる音を聞くこのすさまじき命なりけり
・すぎたるはおよばざりしとおもうときわがかなしみがわがものとなる
・冬の森あかるきひかりさすところほのぼのとして滝の見えたり