金子薫園『歌に入る道』

2019/01/09

  金子薫園には何冊かの短歌入門書がある。そのうちの一冊が『歌に入る道』(文進堂書店、昭和八年)で、これは同書店の名家和歌俳句叢書の一つ。他に若山牧水『和歌講話』、吉田冬葉『俳句に入る道』などがある。
  「はじめに」より、薫園に本書の目的を語ってもらう。

どうしたら歌を作れるかと云ふことを説いたものは既にある。歌は面白いものである、斯(か)うした道を踏んで行けば、ひとりでに誘はれて苦もなく進歩開発するに至ると云ふ風に説いたものは未(ま)だ無い。本書は即ち歌に初心の人を標準(めやす)に置き、歌の面白いと云ふことを、それらの人人に染(し)み込ませて、自然に歌の作りかたを会得(ゑとく)せしむるよ[ママ]うに努(つと)めたものである。読んで何人も歌に親しみ、各自の歌境を拓いてゆうよ[ママ]うになれば、著者は深くそれを悦びとする。

  本書は三十一の文章を集めたものだが、これは短歌の三十一文字に合わせた意図的な構成なのだろうか。いずれの文章も「金子薫園著作年譜」にそれらしきものはないが、だからといって書き下ろしだという確証もない。「金子薫園著作年譜」は薫園のすべての著作、特に雑誌掲載記事については完全ではないので、掲載されていない文章もあるはずである。薫園の主宰誌「光」だけを例に見ても、完全な調査は行われていないものと考えられる。
 それはともかくとして、本書の「凝視する力」の章に以下の記述を見出だす(原文総ルビだが省略)。

私は私のこれ迄の作に、此の、物を凝視する力を欠いてゐた事を、この頃になつて沁沁感じて来た。それは或る事から私の生活に一の革命が起らうとしてゐるのが動機になつて、凝つと物を考へなければならなくなつて来たからである。心忙しい中から、茫然と青空を見て、半日を過したことがある。目を暝ぢて、運命の手がいかに私達を処理するか、其の見えぬものを求めて一夜をまんじりともしなかつたことがある。

  これは以前に書いた薫園の未発表歌集『こゝろのうた』の内容に関係のあるのではないか。正確な執筆時期がわからないのだが、文章の雰囲気や語彙が、どうも件の女性との事柄を思わせる。 少なくとも本書出版当時において薫園は自由律短歌に転向しているが、そのことが「生活」の「革命」だとは思えないし、「運命の手」が「私達」をいかに処理するかとは、何を言うのだろうか。転向の件について薫園は「短歌月刊」や「光」において公式に述べているので、「或る事」などとぼかす必要もないのであろう。
 本書に書かれていることには、歌話としての体裁を整えるために創作された部分もあろうが、三回にわたる「夾竹桃の家から」などを読むと、薫園に歌を見てもらうために薫園邸を訪れる人々は多かったのだなと思わせられる。そのほとんどが女性である。薫園の高名のみならず、定型短歌を作っていた頃の温雅な作風と人柄、丁寧な指導などが短歌を始めようとする女性たちを惹きつけるところがあったのではないかと思う。