日誌(2018年12月20日)

2018/12/20

 歌書の打ち込みをおこなう。最近読書をする暇がなく、日誌の多い編集便りとなっている。編集便りとしてはむしろその方が正しいのかもしれないが、読書の時間をなんとか確保しなくてはならない。
 北宋の黄山谷(黄庭堅)の文章に、「士大夫、三日、書を読まざれば即ち、理義、胸中に交わらず。便ち覚ゆ。面貌、憎むべく、語言、味なきを」云々とあり、石川淳もエッセイでこの言葉を引いていたように思う。私も三日書を読まざりし日がかつてはあったが、確かに面貌は変わってしまって、腑抜けのような顔になっていた。読書は一種の美容術のようなものなのである。だから、私は歌人の顔に強い興味を持っている。美男美女であるかどうかは関係なく、ある年齢に達しているその人の顔が、どうなっているのか、そこにその人の精神的遍歴はあらわなものであろうと思うからだ。特に男性の場合、化粧する人はそう多くはないはずで、いつも素顔であるから、自分の顔を自分で作り上げていくということが大事なのではないかと思う。
 この編集便りで「鶫書房編集便りについて」の記事が2058年の日付になっているのはなぜか、と問われたことがあるのだが、それは一番上にこの記事を置いておきたいためというのが理由である。また、2058年は創業40周年で、私は76歳なので、年齢的にぎりぎり現役で働いていられるだろう、そこまで存続できるとよいなあという希望も込めてのことなのである。40年後の未来予測などまったくできない状況だが、自分への励みと戒めとしてそうしている。
 仕事中は、手と眼は常に動かさなくてはならないので、あまりうるさくないピアノジャズのCDなどかけながら作業しているのだが、たまにYouTubeで聞くこともある。画面を見ながらでは作業できないので、音だけを聞いているわけだが、ふと島倉千代子にしてみた。まあ、島倉千代子は幼い頃から好きで、特に「りんどう峠」「東京だよおっかさん」「襟裳岬」「鳳仙花」が好きなのだが(「鳳仙花」の「鳳仙花 鳳仙花 はじけてとんだ花だけど 咲かせてほしいの あなたの胸で/鳳仙花 鳳仙花 いのちのかぎり 街の隅 わたしも咲きたい あなたと二人」という歌詞がよい)、久しぶりに聞いて感動してしまう。透き徹る声、微妙な震えもさることながら、その人柄や歌手としての真摯な姿勢がすばらしい。こんな女性を騙し、利用した人間は大悪人であろう。
 両親の話では、私は2歳で保育所に預けられ、行き帰りの車内に演歌が流れていないと泣く、という変な子で、当時は木村友衛の「浪花節だよ人生は」がお気に入りだったそうである。顧みていやな2歳児だと苦笑する。息子がいま3歳で、北原白秋作詞・草川信作曲「揺籃のうた」が好きである。こちらはまずまずまっとうな選択で安心する。「ゆーりかごーのうーたにー おーもいでーがゆーれるよー」と歌詞を間違って覚えているのだが、これはこれで良しとする。