明治のクリスマス

2018/12/25

 今日はクリスマスである。キリストの誕生を祝う日(だから降誕祭ともいう)で、キリストの誕生日ではなく、そもそもキリストの生れた日はわかっていないらしい。古代ローマでは一年の変わり目が12月25日で、この祭りの日にキリストの誕生日が結びつけられたとも言われる。
 日本では1552年12月24日、大内氏統治下の山口で布教活動をしていたコスメ・デ・トーレスら宣教師たちによって祝われたのが最初で、「日本のクリスマスは山口から」というイベントが行われているようである。
 明治に入った頃の諸資料を見ると、、例えば明治7年に中村敬宇の同人社女学校、、やはり同じ頃に東京銀座の原胤昭経営の女学校、明治12年に横浜公会などで行われた。外国人宣教師と日本人のキリスト教徒らが行ったそうだ。これ以降各地の教会を中心にクリスマスを祝う文化は地方に広がっていく。
 明治30年代以降になると「クリスマスは年々盛んになり来る傾向にて商品の売行等も急激に増加しつゝある模様なるがそもそもクリスマスの為に特に売出を開始せるは八九年前の事にして当時僅に明治屋亀屋等なりしもそれさへ店前を装飾して大規模に売り出す様になりしは一昨年頃よりの事にて今は此外教文館丸善中西屋等にてもそれぞれアーチやイルミネーションを飾りて賑やかに客を呼ぶ様になりたり」(「都新聞」明治40年12月26日)というように、東京ではクリスマスの大売り出しが始まっている。救世軍の慰問籠や都新聞社の売市(バザー)など、クリスマスは年末の救貧事業とも関わりがあったようであり、また、本郷座や有楽座でクリスマスに芝居を行うことも始まり、各地で盛んになっていったようだ。以上は「彷書月刊」2005年12月号の特集「明治のクリスマス」より。
 今日はもう年末の休暇に入った人が多いのか、西荻窪も心なしか勤め人が少ない印象。もともと勤め人風の人があまりいない街で、私を含め何をしているのかわからないような人が昼間うろうろしているのだが、まあ師走だなと思ったことだ。
 昨晩から体調に異変あり。風邪なのかもしれないが、熱はない。ただ、全身に力が入らず、顔が濡れたアンパンマンのような状態で、へなへなとしている。ちょっとした動作も鈍くなっていて、ズボンを脱ぐときに洗面台下の扉のノブに膝を打ちつけたりして散々である。しかし力仕事をすることはほとんどないので、へなへなでも仕事が出来るからよかった。
 阿佐ヶ谷のミニシアター「ユジク阿佐ヶ谷」では、「チェコアニメの夜——クリスマスホリーナイト」を上映中。18時40分からの回と、20時20分からの回がある。クリスマスの夜を「東のディズニー」とも言われるチェコアニメを見ながら過ごすのも楽しそうだ。
 郵便局に注文書籍を出しに行った帰りに盛林堂書店にて以下のものを拾う。

 前登志夫『山河慟哭』(朝日新聞社、1976年)/100円
 前登志夫『存在の秋』(小沢書店、1977年)/100円

 『存在の秋』は講談社文芸文庫でいいのだが、せっかくなので。小沢書店の本はやはりいいなと思う。立ち読みしただけで買わなかったが『茂吉随聞』(筑摩書房、1960年)で著名な田中隆尚の『桃園譜』(乙骨書店、1972年)があった。旧制第一高等学校の第47回記念祭寮歌「新墾」(昭和12年)の作詞者田中隆久はその実兄であることを帯で知る。