短歌雑誌社編『詠進自在 勅題朝晴雪』

2019/01/17

 昨晩何気なくテレビを見ていたら歌会始のニュースが流れていた。歌会始に限らず投稿というものを一度もしたことがないので、私には短歌を投稿する人の気持ちがいま一つ理解できない。歌というものは自分の詠みたいことを自分で勝手に詠めばよいと思うのだが、あるいは傲岸不遜な考え方だと思われるかもしれない。
 すでに入選歌が発表された後になったが、歌会始の詠進に関する虎の巻というようなものを紹介する。無論古い書物なので今日の詠進にはほとんど役に立たないが。
 短歌雑誌社編『詠進自在 勅題朝晴雪』(東雲堂書店、大正7年)である。
 大正六年十月東雲堂書店から「短歌雑誌」は創刊された。これが歌壇における最初の総合雑誌といわれる。発案者は尾山篤二郎とされる。彼は早くから結社誌の弊害を論じており、歌壇の相互機関というべきものを望んでいた。また、同年三月に同書店から『万葉集物語』を出していた縁もあって社主で歌人の西村陽吉に相談し、尾山篤二郎とともに松村英一を編集に迎えて創刊することになった。その第三号(十二月号)は、新年の歌御会始を見越して「勅題詠進準備号」とした。これは篤二郎によるジャーナリスティックな企画編集で、売れ行きも見込まれたが、それほどではなかったという。なぜかというと、雑誌の発行が献詠の締切日を過ぎてしまったためである。御歌所の関係者に談話を求めたのだが、やはりみな公務を持つ人であるため取材にも時間がかかり、また、内容に不敬にわたるところがないか気を配ったためでもあるだろう。ともあれ、この「短歌雑誌」第三号「勅題詠進準備号」の延長線上に『詠進自在 勅題朝晴雪』の発行があるわけである。ちなみにこの第三号については武川忠一『近代歌誌探訪』(角川書店、平成18年)に詳述されているので、関心のある方は御覧になるとよいと思う。尾山篤二郎関係の話は、滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』(短歌新聞社、平成元年)を参照のこと。
 内容は八つの部に分れる。すなわち御歌所の関係者六名の談話を載せる「詠進に就て(序語)」。八つの詠進の心得を説く「勅題詠進者の心得」、植松安による「歌御会始拝観の記」、御歌所長入江為守ら三名による「朝晴雪解題」、明治天皇御製より雪を詠んだ歌を集めた「雪の御製」、勅撰二十一代集より雪の歌を集めて解説した「雪の古歌集」、その他に「詠歌資料」「明治大正預選歌集」である。
 まず「詠進に就て」。御歌所寄人の千葉胤明、大口鯛二、井上通泰、池邊義象、御歌所参侯の藤枝雅之、加藤義清の六名が、そもそも歌御会始とはどういうものか、思うところを説いている。これは緒言の説明の通り、前年「短歌雑誌」の勅題詠進準備号に掲載された諸家の談話からの抜粋である。
 千葉胤明は明治天皇が歌御会始に民間詠進を認めたのは「民の真の神(こころ)を聞く」ため、また、教養の道、芸術の道である誠より発する和歌を都鄙に行き渡らせようとしたためで、それをよくよく思料し、「赤心」をもって率先して詠進するのが日本国民の務めであるとする。千葉の談話については特に言うべきことはないが、歌の形を通して「赤心」「真心」「誠心」をもって民が天皇に詠進することに重要性が置かれている。
 大口鯛二は同じく明治天皇の英断により民間詠進の道が開かれたことから始めるが、こちらは唐代の宮廷の探詩官の話を持ち出し、詩、書、礼、楽の四つを文教の基礎とする中国でさえ白楽天が嘆じているように探詩官が絶えたのに、明治になった日本で同じ意味を持つ事業が行われたことを讃美する。また、預選に漏れた歌も天皇は楽しみにしていて読むことがあるのだから、預選に入るか入らないか気にして詠進しない、などということのないよう、大口も「臣民たるものの勤め」をなすよう説いている。今日でも入選するかしないかが話題となっているようだが、本来の趣旨(少なくとも戦前までは)は千葉や大口の言うところのものである。
 井上通泰は論調が異なる。千葉や大口のように天皇を持ち出すことなく、新派でも旧派でも良い歌は採るという自身の新旧両派への態度を明らかにしている。ただし、新派の歌には語格や仮名遣いの間違いも多々見られるので、そういったものは採らない、という井上の文学上の信念も表明している。それでも、最後には、最近は内容がよければ語格や仮名遣いの誤りがあっても直して入選させるから、と断り、間口を狭めないような発言をしている。「短歌雑誌」の読者はおおかた新派の流れの歌人であるから、読者を意識しての発言と受け取ることができるだろう。
 池邊義象も井上と同じく、詠進歌については新派旧派の別なく、また旧派の中でも御歌所風の詠み方に捉われる必要はないことを述べる。特に歌御会始だからといって、自分の真心を曲げてまで詠み方を合わせたり変えたりしないよう戒め、「真心のあらはれを除いて別に区分はなからうと思ひます」と言う。そういう誤解がまだまだこの頃にはあったものと思われる。井上も池邊もそうした誤解を解いて、流派の別なく(特に新派の人の)詠進が途絶えないように気を遣っている風である。二人とも自分を旧派と呼んでいるのも興味深いという感じがする。
 藤枝雅之はだいたい千葉の見解と同じことを言っているが、天皇に新年の祝詞をささげる機会のない国民にとっては、詠進は祝詞の代わりになるものだから、結構なことという見方が独特か。
 加藤義清は、歌の姿について述べる。真心がこもっていれば良いというものではなく、天皇に詠進するのだからそれにふさわしい歌の姿、歌の品、結構の正しさを具えたものを詠進するように、ということを重点的に述べている。
 こう見てくると、編者(短歌雑誌社)もだいたいこれら御歌所の人々の見解に沿ったような編集をしているのだろう。次の「勅題詠進者の心得」はこれら諸家を言葉をもう少し丁寧に細かく解説したものである。題のみ記すと、「歌道御奨励の聖旨」「歌御会始の御儀」「詠進歌に没書なし」「新派和歌も亦歓迎」「御歌所の歌風」「詠進歌の要訣」「位階無差別と筆蹟」「詠進歌の書式」の八点。
 ここに説かれた詠進の精神などよりは、実際の事務手続きの方が興味深い。まず全国からの詠進歌は録事が二百首ずつ一冊に綴じ、下選びの役人に回送する。ここで約二千首に絞られる。これを第二選と名付け、さらに寄人に回送し、四人の寄人が二百首ばかりに厳選した後、これを候補歌として点者に回送する。点者すなわち御歌所長のことで、これは勅題を決める役割も行う。こうして預選歌となるわけだが、そうならなかった大多数の歌も「総ての詠進歌は相当の式を終つた後、丁重なる取扱ひの下に百枚宛を一冊に綴り、大奉書の表紙を以て立派に製本し、而して陛下の御手許に捧げて乙夜の覧に供する」のだそうである。だから、入選しなくても無駄になることはない、陛下はちゃんと御覧になっているぞ、というのである。ただ、「没書なし」でも、「卑猥なもの乃至違式でない限りは」と断られていて、卑猥な歌や戯れ歌を詠進する者もいたような記述で、ここが非常に面白いと思った。
 また、違式は没書になるので、詠進歌の書式(竪詠草という)を守るべきという。私は驚いたのだが、第一に留意すべきことは用紙。用紙は絶対に壇紙、奉書、杉原紙、美濃紙のいずれかでないと採用されない。この注意は、つまり、実際には短冊や色紙、半紙、葉書、絵葉書などに書いて送る人が多数いたため必要だったものだ。しかも「当節の紙には寸法の間違つたものが多いから」、「最初第一図のやうに折つて試るがよい」と、丁寧に図を示している。また、名前の書き方も注意点。自分の名前とその下の「上」の一字だけを書くべきなのだという。姓を書いたり、姓と名を書いたり、雅号を書いたり、実印や花押を捺すのも大違式だ。なるほどそういう人もいただろうなと思う。要するに余計な事を書くなということだ。名前と「上」の次の行は、勅題、その次に上の句、その次の下の句、最終の五行目は空白、とするのが本式である。また、墨書の際の墨の使い方、これは難しいのであまり気にするなという。書体は行書か草書が和歌にはふさわいしいということである。とにかく図が挿入されているので解り易く、はなはだ実用的にできている。
 「新派和歌も亦歓迎」「御歌所の歌風」には、御歌所や旧派といっても、桂園派は確かに多いが、二条派(入江為守)あり、本居派(大口鯛二)あり、平田派(阪正臣)あり、また旧派中の新派(井上通泰、池邊義象)あり、新派中の旧派(佐佐木信綱)ありと、一概に歌風は決められないものだという認識や、「将来新派が大いに詠進歌の勢力を占める如き期に達したならば、歌風は忽ち推移して、今日の旧派が新派と更迭する事がないとも限らない」との記述もあり、後者はその後実現している。
 他の項目については長くなるのでやめよう。「詠歌資料」は当年の勅題「朝晴雪」にふさわしい歌言葉一覧で、一句、三句、四句、五句に用いる単語が参考として並んでいる。二句がないのは、ここに余地を残すというか、二句はさまざまに動くというわけなのだろう。二句の歌言葉が省かれている意味についても推測するとおもしろいところだろうか。
 今年は年号が変る。即位の礼の時十連休になるかもしれないそうだが、これは何とかならないものか。保育園のことを考えると頭が痛い。我が家は私が仕事を休めば何とかなるが、夫婦とも会社員の共働き家庭で、どうにも身動きの取れなくなる家庭も出て来るのではないかと思う。政府はその点考慮しているのだろうか。前々から従来の祝日を移動させて三連休にしてしまうことに反対なのだが、本当に困ったことだ。火曜日、水曜日、木曜日に休んでいた頃が懐かしい。平日にぽつんと休みがあって、そこで過ごす一日というのは特別な感情を伴うものである。政治はもっと人々の感情生活を大切にしてほしいと思う。