滝沢博夫さんのこと

2019/01/20

  この前の記事で滝沢博夫『評伝尾山篤二郎』に触れたが、滝沢さんには思い出がある。
  進学のため上京し、短歌結社に入ろうと思ってさまざまな歌誌を取り寄せたり主宰者と電話したりしていた頃、つまり平成十三年、私はその中で「古今」か「藝林」に入ろうと思っていた。当時十九歳。同世代で(おそらく上下の世代も含めて)最終的にこの二誌で迷ったのは私が最初で最後だろうと思う。両誌とも長い伝統があり、それぞれの創刊者、福田榮一も尾山篤二郎も短歌史に相応の位置を占めるが、むろん創刊者はすでに亡くなっている小さな結社で、しかも高齢化が進んでいるようだった。
  私は滝沢さんとはじめ電話で話し、丁寧なお手紙の入った「藝林」の最新号を送ってもらった。その時の温和で紳士的な人柄、また、「藝林」が頁の薄い歌誌なのに国文学者に古典に関する随筆を書いてもらっていて、篤二郎追慕の念深く、その編集方針を守っているのが好ましかった。結局私は「古今」に入るのだが、滝沢さんとはその後もお手紙のやり取りがあった。「古今」に入ったことをお詫びするついでに、その頃篤二郎に凝っていたので、全歌集や評伝の感想を書いたのだったと思う。滝沢さんは、それは気にしなくていい、あなたのような若い人が篤二郎に関心をもってくれてうれしい、自分たちは非力で小さい集まりのままだがやれるところまで頑張るから、あなたも篤二郎への関心を失わず、長く歌を続けてほしい、と書いてくださった。私はとても感動した。だから、それ以来の判官贔屓なのである。
  もし来世というものがあるならば、今度は「藝林」に入り、福田龍生先生の傍にいたように、滝沢さんの傍で歌を学んでみたい。また違う人生になっただろう。滝沢さんにしろ、その前の編集人の湊嘉晴にしろ、小さな歌誌を発行しながら良い歌を詠んでいたのに、今では誰も触れることがなく、私は本当にさびしい。厳寒の夜、そういったことを考えながら、滝沢さんの残した『評伝尾山篤二郎』を読み直した。そして、やはり今回も多くのことを学んだ。数年前に亡くなられた滝沢さんに感謝の気持ちでいっぱいだ。