岡一輻歌集『ぶつぶつと吐きながら—奥能登の土と海と風と—』書評

2019/02/15

 弊社より昨年11月に刊行した岡一輻さんの歌集『ぶつぶつと吐きながら―奥能登の土と海と風と―』について、奥村晃作さんが長文の書評を寄せてくださった。御礼申し上げます。お許しをいただいて、以下に転載させていただきます。

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      うぶすなの奥能登讃歌――岡一輻歌集『ぶつぶつと吐きながら』を読みて  奥村晃作

 歌集に付された著者の序文から少し引く。「しろい景色だけが広がる奥能登。列島の真ん中、しろい半島、しろい風景の中の静けさと厳しさ。そんな天地を里とし、身を置いて来たものとしては、心に浮かんだ風景を拾い上げ、歌としてぶつぶつと吐き出し、映してみたこの本も、生きて来たことへの区切りの営みなのかも知れない」


    奥能登抒情

  天までを吹雪はのぼる能登の夜うたたねをする囲炉裏温さに

 夜の戸外は猛吹雪。でも囲炉裏に暖められた室内は心地よく、ついうたたねをしてしまう。うぶすなの地に安堵する歌人。

  小学校倉庫の裏がなつかしい陽浴びうとうとしていたあの日

 小学校の倉庫の裏で過ごした至福の時間を回想している。以下、回想の歌から三首を引く。

  物置の画架を日差しが白めかす埃積みあり未完の自画像

 久しぶりに訪れた折の、実家の物置での歌。埃にまみれた己が「未完の自画像」を眺め、往時の回想に浸っている。

  天秤棒かつぎ馬尻に水運ぶ少年の影ゆれる奥能登

 水運びに苦労した己が少年時の回想。

  幼い日に遊び渡った丸木橋まだそのままに掛かって有った

 久しぶりに奥能登の実家を訪れた折の歌であろう。近くの川に渡された丸木橋は格好の遊び場であったようだ。

 以下、食の歌から三首引く。

  舳倉島のぞむ岬の店に行く鮑と栄螺の天麩羅嚙みに

 これも久しぶりの帰省の折の歌か。海辺の、岬にあるお店。「鮑と栄螺の天麩羅」が名物のお店のようだ。

  女の仔が白子白子(しらすしらす)と跳ねて来る旨いと店に丼を食う

 初句は「おんなのこが」と読むのであろう。「女の仔」とお喋りしながら食する白子丼もさぞかし美味であったろう。

  獲りたてのわかめ鍋湯にひたし食う春はらむ風たゆたう店に

 「獲りたてのわかめ」の湯搔きが売り物のお店もあるのですね。


    婆を歌い、爺を歌う

 作者にとってどういうかかわりの婆さん、爺さんであるかは、さだかでないが、親しみを込めて歌われている。

  馬糞燃し暖とった日の昔を云う婆は囲炉裏に筒吹きながら

 竹筒を吹き吹きして囲炉裏の薪を熾しながら婆さが「かつての昔は馬糞を燃していた」と話す。

  朝市に婆は野菜の煮物買えと山には山の味があるぞと

 輪島の朝市での光景であろうか。近在の山のものを煮込んで売っている逞しい婆さん。

  雪ふれば死にたくなると婆は云う白ひろく濃い能登半島に

 真冬の豪雪の能登半島。深く重い雪に閉ざされた白一色の能登半島。叫びのような声を上げる婆さん。

  船縁に腰かけ煙草を爺は喫う空気のしろい浜を睨んで

 「空気のしろい浜」、やはり真冬の、厳寒期の能登の景であろう。

  いつまでも魚だけ売る爺さんは蠅取り紙を胸に抱いて

 これは夏の歌か。蠅取りの紙を胸に抱いて魚を売る爺さん。


    姉さの歌

 歌集の「あとがき」から一部を引く。「奥能登の成住壊空、しろい地水火風空だけが、いつでも鮮烈。平屋の古い長屋での母と姉との暮らし、いつでも耳にしていた奥能登日本海の波音、海音、風音。そんなもの以外は何もない天地の暮らしのなかで夢のような時間、のびやかで仕合せな時間を生きてきた気がする。」

  不意に浮く姉さの顔が懐かしい照らされ見える月夜の磯に

 月光の明るい海辺に立ち、海を眺めていて、不意に懐かしく想い起した姉さの顔。歌人が一番に信じて慕っていた人はこの姉さであること、歌集を読めばおのずと分かります。一番大切な人、姉さの歌から更に二首引いておく。

  辛ければいつでも電話鳴らし来い胸に姉さの声聴く冬夜
  仕合わせな訣別だって有るのだと逝った姉さは呟いていた


    父母の歌

  天井に大蝦蟇の絵を描きある能登藁屋根の古い田可寺
  田可川の流れは母か風は父か半島蒼い奥能登蒼い
  棄郷の日ゴトンと夜汽車動きだす浮かれ始めの弥生が寒い
  古里は父母居なくなったところ弥生に乗った就職列車

 「棄郷の日」とは何とも切なく、重い言葉である。かつて歌人は捨てるようにして故郷を離れた。これはわたしの想像であるが、中学(あるいは高校)を卒業するや、その三月に就職列車に乗り、同学年の仲間らと一緒に、故郷を、うぶすなの奥能登の地を離れたようだ。

  父の顔知らないままに逝くだろう海に棄てよう裳抜けの鳥籠

 「父の顔知らないままに逝くだろう」。何という切なく、哀しい詠嘆。こうした境涯も背負う作者である。


    物を歌い、動物を歌い、植物を歌う

  一体の古人形が置いてある公孫樹並木の道に裸で

 一体の、裸の古人形。置き忘れてあるのか。捨てられてあるのか。通りがかりに目にした景を詠み取った。

  天井から吊り下げてある扇風機ひとつ翼が折れて無いまま

 古いお店。大衆食堂。ふと天井を見上げると、大きな扇風機が吊り下がっているが、一つの翼が折れて無いままであった。その景を詠み取ったのが良い。

  電球のなかに蠢くようにある糸蚯蚓かなフィラメントは

 裸電球の中のフィラメントが比喩を用いて的確に表現されている。

  五百年前の赤色輪島塗うつくしい黒の斑を浮かせ

 五百年前の輪島塗の一品。物は何だろう。黒の斑を美しく浮かせた赤色の塗り。

 以下、動物の歌から三首を引く。

  細脚にしろい躰をのせて立つ堤にならび群れる海鳥

 海岸での眺め。水鳥はカモメか海猫か。

  体温のあげさげ出来ぬ亀だとか川辺の石に甲羅干してる

 言われてみればそうであろうなと思わせる気付き、発見、認識の歌。

  まるまると太った蟻が走り行く熱のこってる白い舗道を

 夕刻の白い舗道の上を走り行く太った蟻が詠み取られている。

 植物詠から二首を引く。

  ごつごつと白梅の木は寒に立つ肌ひからせてくの字に曲がり

 寒中に立つ白梅。ごつごつした肌を光らせ、幹は九の字に曲がっていると。

  ふりかぶる雨の重さに枝たわむ奥能登杉は踏ん張っている

 雨中の奥能登杉の存在感がうまく表現されている。「枝たわむ」「踏ん張っている」の表現が効いている。

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