藤間勘妙の短歌舞踊

2019/08/17

 藤森成吉の評論・随筆集『風雨帖』(改造社、昭和十四年)に、「短歌舞踊」なる一文がある。「短歌舞踊?」と思ったが、読んでみるとそれほど変わった話ではなかった。
 昭和十三年十月三日、新内の岡本文彌(1895-1996)を中心とする演芸会「趣味の文彌会」で、文彌の朗吟、藤間勘妙(長唄の坂田仙太郎夫人)の舞踊を見た話であった。歌は、石川啄木の歌三首、源実朝の歌三首で、当時藤森は啄木に関心を抱いており(『風雨帖』に啄木関係の論考は一章を割いている)、楽しみにして出かけたようだ。
 啄木の歌三首は、「東海の小島の磯の……」「ふるさとの山に向ひて……」「たはむれに母を背負ひて……」で、最初の「東海の」の朗吟と舞踊が始まった時、藤森は涙し、さらに後の二首が続くに及んで、いよいよ涙が溢れ、恥ずかしいばかりであったと言う。
 藤森はこの歌を評価しておらず、にもかかわらず泣いてしまったようで、その感動は文彌の朗吟や勘妙の踊りの巧さによるものとしながらも、「然しぼくは、同時に啄木に対する大衆の尽くることなき愛着の秘密をつかんだ気がした。」と感想を述べている。
 短歌の朗詠、短歌の朗読、そういったものの感興については聞くことが多いが、「短歌舞踊」は初めてであった。