昭和四十八年、短冊を売り歩く男

2019/10/16

「短歌新聞」昭和48年5月号を読んでいたら、「詐称漢出没 それにしては安い短冊」という雑報記事がある。以下引用。

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 最近、渋谷や池袋辺の喫茶店でアララギ会員と詐称する男が短冊を客に売り歩いているという。五十年輩で眼鏡をかけ、黒っぽいウールのネクタイをしている。その一枚を買った渋谷区の会社員T氏(二十四歳)の談。「いまアララギ会の帰りだが、ちようど余っている短冊があるので、四百八十円のものを二百五十円の実費で預けてやる」というので友人と一枚宛買ったという。弟子が七百人もいたり、アララギ選者の名前なども口にしたりしたところから、多少は歌壇事情に通じているものと思われる。T氏の買った短冊は「大海の波濤を越えてわれゆかん天を屋根にして地を床にして」とよまれ、高野某の印がおさえているというもの。これに関しアララギ発行所では、アララギ会員には、自分の歌を短冊に書いて売りあるくものはいないし、高野某も会員ではないと否定している。

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 些細な事件だが、「多少は歌壇事情に通じているものと思われる」という分析が面白いし、アララギの著名歌人の偽筆ではなく、アララギ会員と自称する男自身の下手な歌を書いた短冊が、いくら安いとはいえ二十四歳の若者に売れたということ自体興味深いものがある。
 なお、本号の頃は、一面は「写真で見る歌壇史」の長期連載中、さすがに物故者が多いが、「新人立論」に外塚喬、「作品時評」に杜沢光一郎両氏の名と顔写真が見られる。四宮正貴「浪漫主義論是非」も同年の「短歌」2月号の篠弘「中河をめぐる浪漫主義論争」への反駁で面白い。この新聞形式の短歌紙の旧号を見る興味は、はなはだ俗だが、当時の歌人の顔を多く見る事ができるからである。この「顔」が私には重要であると思われる。
 なお、どうして私がこれを読んでいたかというと、福田栄一(「古今」主宰)の「足音と咳」という療養記を読みたいが為であった。