日誌(2020年4月2日)

2020/04/02

 ずいぶん久しぶりの更新になってしまった。活動停止になったのではなく、意外にも忙しくしていた。
 世の中はコロナウイルスの話題で持ち切りである。私も家族も今のところ元気で、特に仕事に影響はないが、万が一の先方への迷惑を考えて他県での打ち合わせを延期するなど、少し予定を変更している。
 西荻窪には駅前に西友があり、ここしか大きなスーパーがなく近在の人々の生活の中心なのだが、午前中でかなりの商品がなくなっている。午前中動ける人々が買っていってしまうのであろう。相も変わらず人間の我利我欲のすさまじいことである。山のように買ってゆく者がある。一週間くらいなら、米と茶と香の物でもあれば、十分であろうに、いずれ糞尿と化すだけの物を、憐れむべし、ご苦労なことだ。
 先日もある人に「世の中が騒然となっても、いつも泰然自若ですね」と言われた。なるほど、学生時代から「焦らない男」などと言われ、本人としては鈍感なだけなのだが、そういう風に見られてきた。
 私には極端なニヒリズムがあるようで、偶然生まれ落ちてきたこの生の、一瞬一瞬を悔いのないように生き、生を全うしようという意志があるものの、その意志がある日偶然にもぷつんと切られ、一切が無になってしまっても、それはもともとそうあるべきなのだし、当然のことであるとしか、考えられない。したがって、マスクが品薄であるとか、何々が足りなくなるだろう、などといって、騒いでいる人々については、冷笑するしかないのである。
 今日は風が強く、通勤にバスを使ったが(いつもは歩く)、私以外の乗客のほとんどの全員がマスクをしていた。私はそれを見て、これで安心だな、と思った。もちろん、私自身咳が出るなどという場合は、マスクをしなければならないだろうが、健康である限り、むやみやたらに心配することもない。しかし、周囲がマスクをして、全員マスクをして過ごしいる世の中になったら、不気味ではあるが、本当に安心だ。
 身について離れないニヒリズムの結果、政治的にはどうしてもアナキズムに赴かざるを得ないので、いかなる政府も無用と思っているが、現に存在する政府には、適切な処置を望んでいる。まあ、口で望んでいると言うだけで、期待はしていないが、そもそも、政府だけの力でどうにかなるものでもないのである。自然のことだ、自然に任せるよりほかないのだろう。
 私がコロナウイルスに罹る心配はないだろう。根拠のない自信を拠り所に生きてきたのであるから、今もそれを信じて日々刻々を生きてゆくだけだ。いずれ来るであろう、その糸が切れる時に、変な後悔を残さないようにと思うだけである。よく分からないウイルスのことなど、考えている暇がこの生にあると言えるのだろうか。