蒔田正美歌集『当世』刊行

2020/05/20

 蒔田正美氏の第二歌集『当世』を刊行した。前集『帰一』に引き続き、お世話になった。装釘は船津朝子さんにお願いした。
 今回も同様に歌は五行書で一頁一首組、総頁数484頁の贅沢な組み方である。『帰一』は「富士山」に特化した珍しい歌集であったが、今回は富士山の歌に加えて、蒔田氏の日常詠も含まれている。師である後藤直二氏の歌集『森の時間』にならって菊判とした。蒔田氏は現在無所属だが、以前は「群帆」「未来」に所属していた。また、それ以前に、「水甕」の板津修二氏、「コスモス」の山下文子氏に歌の手ほどきを受けている。
 氏の歌の良さは、まず何といっても調べの良さにあるのではないだろうか。「春夏秋冬」の四季部立になっており、古風である。歌も現代短歌から遠い地点に立っているようにみえるが、和歌本来のたゆたうような調べが大切にされている(以下便宜上一行書にして記す)。

「春の巻」
・初倉(はつくら)の/ここは井口(いぐち)の/のたり松/風さむきなかに/春の富士みゆ
・省(かえり)みて/帰らぬことの/むなしさの/淋しきなかに/安らぐわれは
・紋白(もんしろ)は/葉ごとにひとつ/ただ ひとつ/たまごをうみて/うつりゆくとぞ
「夏の巻」
・うなぎ屋の/看板ごしに/富士見ゆる/わが性欲の/はるかなるかも
・うつせみは/猛暑(もうしょ)のなかに/目をあけて/水のほとりを/歩みきにけり
・音もなく/雨が水面(みなも)に/ひびきおり/こころのなかを/歩みきにけり
「秋の巻」
・夕ぐれに/立つ わがまえの/白き蓼(たで)/見えぬ世界の/入口にして
・石垣を/はうしまへびを/ながめつつ/われはゆでたまご/食いつつぞおり
・刈られたる/土手はやさしき/かたちして/くぼみに光る/水の一筋
「冬の巻」
・悲しみを/ふかくかなしむ/こともなし/ただわがまえの/日日はありけり
・冬の雨/こころにひびき/目をとじぬ/いずこにきざす/花の伝説
・冬の野の/ひかりのなかを/歩みつつ/こころのなかへ/歩みをかえす

 氏の好む言葉に「独往」ということがあり、歌の中にも氏が「歩む」ことによって思索を深め、歌を詠んでいる姿が出ている。「万巻の書を読み、万里の道を往く」という明末の文人・董其昌の言葉がおのずから思い起こされる。豪放磊落でもあり艶麗繊巧でもあり、人間的魅力にあふれた蒔田氏の「独往の道」について、私はしばし思いに耽り、自分の道とは何か、いま私はその道を正しく歩んでいるのか、と自問自答した。
  この歌集の上梓が後藤直二先生のご存命中であったならばさぞかし喜ばれたことと思う。そのこと一つを考えても、歌人が一生をかけて歩む道は、平坦なものではないのだという思いをあらためて深めたことであった。