「香蘭」2020年8月号

2020/08/03

 新型コロナウイルスをめぐる状況が悪化している。数値的には確かにそうだ。以前はそれでも周囲に罹患した人がいなかったので実感がなかったのだが、最近は行きつけの店舗の従業員が罹患し、店舗が一時的に閉じているなど、身近になってきた。
 いつもご恵送いただいている「香蘭」誌を取り上げたいと思う。総合誌もそうだが、やはり結社誌も新型コロナウイルスの文字が誌面に氾濫している。特に感慨を深くしたのは、内藤美也子「焦点(6月号)」という前々号評が「現在を詠む——新型コロナウイルス」となっていて、すでに見開き2頁全面で取り上げることが出来るほど、新型コロナウイルスの歌は多く作られてきたのだった。
 本誌でいつも楽しみにしているのは、千々和久幸「村野次郎への旅」で125回を迎えている。非常に息の長い連載なのだが、毎回のテーマがそれぞれ面白く、読者を飽きさせない。今回は「「ザムボア」と次郎(十七)」で、「ザムボア」大正7年7月号に掲載された村野次郎の「雑詠」8首の鑑賞。だが、その前に、「ザムボア」6月号に掲載された河野慎吾による筏井嘉一作品への歌評、村野次郎による深野庫之介作品への歌評の紹介・鑑賞があり、両者の的確かつ厳しい歌評について触れている。村野次郎はこの時弱冠24歳であった。その後に続く「雑詠」8首の鑑賞も歯切れよく、現在の視点から村野作品が読み直されている。
 「香蘭」は作品欄以外に文章欄が充実しているのも特徴で、小城勝相「歌の生まれる場所(91)」、田中あさひ「文法あれこれ(15)」など面白い。巻頭近くの「近詠十五首」は谷本朝江「八十八歳」であった。作者はかつては自営業で、二年前に亡くなった夫と二人三脚で働いてきたようだ。作品からは現在その事業は子供たちが引き継いでいるようである。「来世もわが身は夫と共にあり確めん術(すべ)すでに無けれど」など下句に哀しみが微かに漂っていて、よい歌と思った。
 この「近詠十五首」や「歌の生まれる場所」など、全体に会員を大事にして誌面を提供している印象を受けた。「香蘭」は編集合議制だと思うので、現在のような状況ではいろいろな制約が出ているようである。千々和氏によるお知らせなどには「誌面刷新を目指すことも含め」などという文言もあり、困難な状況ではあるが、禍転じて福となすの意気込みが感じられる。
 まだ新型コロナウイルスの話など全く予想もしていなかった頃、西新宿の明宝ビルにある隠れ部屋のような編集部にお邪魔したり、近くの居酒屋で盃を重ねたことなど、なんとなく懐かしい。千々和氏の文章に刺激されて、私も「ザムボア」は持っていないが、河野慎吾らの「秦皮(とねりこ)」など開いてみようかなどとと思っている。
 「香蘭」会員諸氏のご健詠を心よりお祈り申し上げます。